今を去る約500余年の昔。
明応二(1493)年、阿波国板野郡古別宮浦(現川内町下別宮)に疫病が蔓延し人々は大変困していた。その折、東方の海中が毎晩光を放っていたため、漁夫が舟で至り見ると、薬師瑠璃光加来の像が波間に漂っていた。
人々は急遽これを奉じ帰り、浦人感涙にむせびお迎え申し上げると、疫病はたちまちに終息。
早速別宮浦に一字の草堂を建立してご本尊として安置した。この薬師庵建立が始まりである。
当初は無住の草庵だったが、次第に薬師の霊験は世の認めるところとなり、正徳年間(1711~1716)に増進という尼僧が庵主となり、以来法灯が受け継がれてきた。
霊験まことにあらたかで、多くの信者に「厄除け薬師」「子授け薬師」と篤く崇敬されてきた「おやくっさん」はいわゆる祈祷所であったが、昭和二十七年、真言宗大覚寺派に所属し寺院に昇格、東方山薬師寺の号を許され現在に至っている。
現在の本堂は平成八年に新築され、同十二年に庫裏が完成した。
境内には、こちらも霊験あらたかな北向き地蔵尊等のほか、本堂新築の記念として四国八十八カ所のお砂踏みが建立されている。
ミニ四国八十八ヶ所 お砂踏み
北向き地蔵尊(お助け地蔵)
子授け、夜泣き、かんむし、探し物
水子地蔵
納骨堂
墓地
霊園